2012年8月29日水曜日

ロンドンまずいもの市

 料理が美味しくないと有名なイギリスですが、わずか12日間の滞在にもかかわらず、いくつか衝撃の食べ物と出会いました。一日の大半をエクセルという郊外にある試合会場で過ごし、宿との往復ばかりだったにもかかわらず、出会ってしまったまずいものからベスト3をお届けします。

第3位:ベジマイト
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 オーストラリア人のソウルフードです。イギリスには、ベジマイトの元祖ともいえるマーマイトというものがありますが、そちらを口にする機会はありませんでした。このベジマイトですが、宿の朝食で必ずテーブルに並んでいました。ふたを開けると、真っ黒なペーストであることがわかります。
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 独特の風味があると言われるベジマイトですが、食べてみないことにはどんな味なのか確認できません。そのため、トーストにつけて食べることにしました。奥のスプーンにベジマイト、手前が食べたあとの口直し用にとあらかじめ用意したチョコレートペーストです。チョコレートペーストよりも固く、色も黒っぽいのがおわかりいただけるでしょうか?
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 トーストにバターを塗り、おそるおそるベジマイトを塗ります。そして、口に入れたところ……あれ、すごくしょっぱいだけで、そんなに変な味……でした~~!! 喉を通りすぎると、何とも言えない匂いが鼻の奥からのぼってきます。これか、これがベジマイトの「味」なのか!! 日本にもいろいろ発酵食品はありますが、こういう匂いはかいだことがありません。外国人が初めて、匂いがきつい水戸納豆を食べるとこんな感想を持つのかもしれませんね。
 食品や料理は、味覚だけでなく、嗅覚や触覚など五感を駆使して味わうものです。なかでも、料理の味わいにとって匂いは大きな要素を占めます。風邪を引いて鼻が詰まったとき、料理の味が半減したことのある人も多いでしょう。この嗅覚に、今までにない衝撃を与えてくれたのがベジマイトでした。
 シドニー五輪以来、五輪観戦を趣味としているオーストラリアからやってきた体が大きなにーさんは、毎朝、このベジマイトを瓶ごとかかえて食べていました。オーストラリア育ちの人にとっては、欠かせない「ごはんのとも」のようです。

第2位:宿の隣の店で買ったサンドイッチ
 口にしたときの衝撃が強すぎて、写真がありません。チキンとチーズのサンドイッチだったのですが、どちらの味もしませんでした。当然、挟んでいるパンも場所によってベタベタしたり乾いていたり、ここまでまずいサンドイッチを作成できることに何より驚かされます。それでも、かろうじて「食べ物」という認識ではありました。
 このサンドイッチを食べてしまったときより数日前、このあと紹介する、第1位にランクされたものを食べたとき、同席した人が「今度からサンドイッチを買います。サンドイッチだったら、そんなにひどくまずくなることはないですよね!」と力強く宣言していたのですが、その言葉を見事に裏切るロンドンの食べ物水準でした。
 どうしてこうなった??

第1位:エクセル展示場売店のNOODLE
 ロンドン郊外に位置する巨大な展示場は、五輪の様々な競技会場になっていました。柔道、卓球、ボクシング、ウェイトリフティング、テコンドー、レスリングなどホールごとにおこなわれ、東京ビッグサイトや幕張メッセを想像してもらうと近い雰囲気かと思います。いったん会場へ入ると、再入場はできませんから、中にはテイクアウト専門で飲み物やスナック類を販売しています。いっそのこと、日本で言うところのコンビニでもあったほうが便利なのですが、そういった店舗はありません。
 試合会場の目の前に、NOODLEという看板をかかげた売店がありました。売場の様子を見ると、けっこう売れている様子。ものすご~く美味しい! ということはたぶんないだろうけれど、及第点の味なのではないかと期待して買ってみました。ベジタリアン向けと普通メニューに、それぞれサワークリーム味とペッパー味があります。私はサワークリーム味、同行者はペッパー味を頼みました。
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 赤いソースなので、トマトの味がするのだろうと予想して口に運びました……甘いです。トマトの甘さではありません。このNOODLEの具のひとつでもあるパイナップルの甘さです。しかも、缶詰パイナップルが浸っているシロップの甘さです。パイナップル風味のシロップです。サワークリーム味となっていましたが、サワー=酸味はどこにも感じられません。さらに、見た目どおり麺にコシはありません。
「くたくたに煮たパスタに酢豚をぶっかけた」と形容した人がいましたが、まともな酢豚であれば、もう少しおいしかったでしょう。パプリカもパイナップルも、麺もすべてに火が入りすぎて歯ごたえがまったくありません。味も、熱を加えすぎているからか、パイナップルシロップの甘味しか感じられません。塩とこしょうをありったけ振りかけても、どうにもなりませんでした。
 出てきたものは食べきるのがポリシーで、3位のベジマイトも、2位のまっずいサンドイッチも完食した私ですが、このNOODLEだけは倒せませんでした……。
 何より腹立つのは、これが約7ポンド(約千円)もすることです。スタジアム値段だから普通よりも高くなるとはいえ、ありえない設定です。

 以上、大変に偏った体験からくる感想ではありますが、ロンドンまずいものランキングをお届けしました。

2012年8月25日土曜日

typical food in London


 イギリスのごはんはおいしくない、とよく言われます。確かに、11泊のロンドン滞在中、びっくりするほど不味い食べ物にも出会いました。どうやら、外食産業だからこそ、おいしいものを出さねば、もしくは食べなければ、という意識が薄い様子。家庭でつくって食べているご飯はそんなにひどくないという話もあります。それでも、せっかくなら日本にはないおいしいものを食べてみたいと、同じ宿にやってきた、在英約2年の日本人に、おすすめの食べ物はありますかと聞いてみました。何かひとつくらいオススメされるかと期待したのですが、

「ロンドンで、ですかぁ。フィッシュアンドチップスも、港町ならおいしいんですが。地方なら、イギリスもおいしいものはたくさんあるのですが……インド料理か、中華料理を食べに行ってください!」

と力強く宣言されてしまいました。

 そんななか、わりと及第点と言えるイギリス料理は、Pie and Mashでしょうか。

 19世紀に庶民の料理として定着したというこの料理は、なんでもパイにくるんで焼いて、マッシュポテトや豆類を添え、ソースをかけて食べます。一度、試合会場で食事をご一緒したアメリカ人の女性が「この国のtypical foodよ」と教えてくれました。レスリングの試合会場があったExcel ArenaにもPie and Mashの売店がありました。きちんとしたお店では一度も食べなかったので、お皿に出されるときはどんな料理になっているのか、残念ながら確認できていません。
 写真のPie and Mashは中身が鶏肉のクリーム煮。試合会場で食べたなかでは、ちゃんと食べものでした。
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 ポテトを添えたりソースをかけなくても、何でもパイに包んで焼くのがロンドンの皆さんは好きなようで、宿の近くにあったBorough Marketにも、パイ包み焼を売るお店がいくつもありました。

 イギリス料理に関する私の乏しい記憶によれば、キドニーパイという名物があって、そのパイには牛肉とエールで煮込んだ臓物が入っていると聞いていました。そのため、ロンドンでパイ包みと言えば、牛肉を中心としたラインナップになるとばかり思い込んでいました。
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 ところが、実際に売られていたのは鶏肉だったり野菜だったり、チーズだったりと多種多様。Borough Marketでパイ売り屋台のにーちゃんに、一番人気はどれかと尋ねると、チキンだと即答されました。ベジタリアン向けと銘打ったものもあります。
 牛肉じゃないのかとびっくりしましたが、狂牛病騒ぎだったり、先進国での健康ブームを考えると、一番人気に「伝統食」が占めるのは難しいかもしれません。

 肉類の扱いが、さすがに上手だなあと思わされたのは、ポークパイを食べたときでした。冷たいまま切って食べると、肉とパイ生地の間にとろりとおさまったゼリー状になった油脂が見えます。この油が、肉のおいしさを際立たせていました。そして、胸焼けするような嫌な油分ではなく、食べた後味もサッパリとしていました。ひとりでまるごと、一度に食べるのはさすがに無理でしたが、このポークパイのことを思い出すと、あの豚肉のおいしさが今でも舌の上によみがえります。
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 Pie and Mashの欠点は、全体的に茶色っぽいので彩りが食欲を誘わないことと、気づけば炭水化物を大量に食べてしまうところです。フィッシュアンドチップスもそうですが、何かというとジャガイモをたくさん食べてしまう料理ばかりです。欧州へジャガイモが渡ってきたのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以降のはずなので、早くても15世紀末から16世紀。それまで、この人たちは大きな体を支えるために、ジャガイモの代わりに何を食べていたんだろうと謎が深まるのでした。

2012年8月20日月曜日

金メダルの記憶と経験


 レスリングの男子フリースタイルは、ロンドン五輪の最終日、閉会式が始まる数時間前に、88年ソウル以来24年ぶりの金メダルを獲得しました。
 24年ぶりの金メダリストとなったのは、26歳の米満達弘。世界選手権では昨年の2位が最高位だったので、彼にとっても初めての世界一となりました。私にとっても、日本の男子選手が世界一になったのを実際に目にしたのは初めてで、これまでのことが色々と思い出されました。とくに鮮明に蘇ったのは、四年前の北京五輪のときのことでした。

 蒸し暑かった2008年8月の北京でも、日本の男子フリースタイルは金メダリストが誕生するチャンスを迎えていました。55kg級で松永共広が決勝へ勝ち上がったのです。レスリングでは、一日で一回戦から決勝までの試合をおこないます。そして、準決勝までを前半、敗者復活戦から3位決定戦と決勝戦を後半、と分けて、間に数時間の休憩が入ります。松永が決勝戦へ勝ち上がったあとに休憩時間を迎えると、日本の関係者は誰もがものすごく興奮していました。
 決勝戦の相手は、アメリカのセジュド。こちらは、実績だけでなく、それまでの試合内容を見ても松永より格下の選手だと誰の目にも明らかでした。「(金メダル)とれるよ!」「いけるよ!」と、松永の応援団だけでなく、レスリングを熟知した関係者も含めて、決勝が始まる前から喜んでいました。勝負についてはいつも辛口な高田裕司専務理事も、喫煙所でタバコを吸いながら「とりますよ」とこぼれる笑顔をこらえられずに話していました。私自身、親しくしている韓国のコーチから「松永が金だね」と言われて嬉しかったものです。それまで、実力は世界トップクラスの折り紙付きだった松永でしたが、世界選手権ではめぼしい実績をあげられずにいました。「ものすごく苦しくなるほど限界まで自分を追い込んで」挑んだ北京五輪で、ようやく花開こうとしていたのです。20年ぶりの金メダルを松永がとるのだと信じて疑っていませんでした。
 ところが決勝戦では、勢いに乗ったセジュドのペースで試合を運ばれ、技術とバランスの良さが際立つ、いつもの松永らしい試合運びが見られないまま、銀メダルに終わっていました。
 表彰式が終わったあと、
「決勝が決まったところで、俺たち、喜びすぎたかもしれないな」
と、松永の指導者の一人が漏らしました。
 決勝戦を前に、冷静に試合へ挑めるようコンディションを整えなければならないのに、このときの日本の男子レスリング関係者はすべて、金メダルを取る、優勝するということに不慣れだったのです。

 これより何年も前、確か、ブルガリアでの世界選手権のときだったと思います。まだ女子レスリングは五輪種目になっていませんでしたが、すでに何人もの女子世界チャンピオンを育ててきた栄和人監督が、
「第一試合から決勝まできちんと勝って優勝するのは、目の前の難しい試合をひとつ勝つことや、確かな技を使えるようになることとは違う難しさがある。第一試合で気負いすぎたり、準決勝で気持ちが途切れたりしないように、決勝へ向けて整えてしっかり勝てるようにしないと」
と話してくれたことがありました。
 女子と男子では、競技としての成熟度合いが違うという問題はあります。しかし、第一試合から決勝まで、ひとつの大会で優勝するパッケージを仕上げるという、技術や、競技の成熟度とは別次元の考え方が存在すると気づかされました。そして、この優勝パッケージは、経験していかないと身につけづらいのかもしれないと、松永が金メダルを逃したときに再び思い起こされたのです。

 絶対的に優れた個人技量を持つ選手が現れれば、優勝パッケージの経験値など、検討に値しない問題だという意見もあるでしょう。とくに、レスリングのように個人と個人が争う競技であれば、なおさら言われるかも知れません。実際、そのように考えてもかまわないくらい圧倒的に強い選手も、ごくまれに存在します。しかしそのように圧倒的に強い選手も、優勝する経験を積んだスタッフに支えられているのです。
 マットの上で絶対的な強さをみせつける選手は、たいてい20歳ぐらいで世界王者の座に就きます。引退したロシアのB.サイティエフは21歳のときに1996年アトランタ五輪で世界デビューし、金メダリストになりました。M.バティロフは20歳で2004年アテネの金メダリストとなり、北京も連覇しました。日本人にとってもっともわかりやすい例は、霊長類最強と言われたアレクサンドル・カレリンでしょうか。カレリンも、初めて世界一になった1988年ソウル五輪のときは21歳で、そこから2000年シドニー五輪の準決勝まで無敗を続けました。
 彼らはいずれも、個人技量にも優れていますが、同時に、優勝パッケージの経験を豊富に持つスタッフに囲まれていました。選手個人にとっては初体験でも、セコンドにつくコーチや、強化スタッフには世界一になる選手を過去に何人も送り出してきたのです。

 松永が北京五輪で決勝戦へすすんだとき、残念ながら、日本はスタッフも含めて優勝するという経験に乏しい状態でした。世界一を争う場での決勝戦の経験すら、男子フリースタイルでは1995年の世界選手権以来、途切れていたのです。
 ところが、ロンドンでの米満については違いました。昨年、敗れたとはいえ世界選手権で決勝を経験しています。世界一ではないですが、アジア大会では優勝も経験しました。ひとつの大会を、一回戦から勝ち上がり、決勝戦で戦う経験値が、選手だけでなく、コーチも含めたスタッフにとっても、四年前にくらべて飛躍的に増えていたのです。

 今回、米満の決勝進出が決まったあと、関係者はみな、落ち着いていました。米満自身は、準決勝で勝ったときには興奮のあまり、客席へ人差し指をたててアピールし、セコンドのコーチを待たずに場内をスタスタ歩き始めていましたが、周囲は落ち着いていました。コーチを置いて歩いて行ってしまった様子をみて、興奮しすぎているなあと少し不安になりましたが、まわりは落ち着いていました。
 決勝の対戦相手であるインドのクマールが格下に見られていたのは、松永のときと同じです。でも、誰も浮かれていませんでした。3位決定戦が始まる前、セコンドに就くコーチが、「大丈夫。(金メダル)とれるから」と落ち着いて、自信たっぷりに話してくれました。

 金メダルの記憶は、選手本人だけのものでなく、コーチングスタッフ、サポートスタッフすべてにとっても貴重な体験です。いったん途切れると、なかなか復活させづらいことは、日本の男子レスリングがこの24年間で証明してきました。途切れたものは間を置くほど蘇らせるのが困難なので、どの国も、金メダルが途切れないよう必死です。たとえば、グレコローマンの金メダルが北京で途切れた韓国は、なんとか間を置かずにグレコ金の伝統を復活させようと、ロンドンへは強化陣を総入れ替えしてのぞみ、66kg級で優勝して復活させました。世界チャンピオンを毎年、複数誕生させ、常勝といわれ続けたロシアは、今回、フリースタイルで金がひとつに終わったことを問題視しています。
 金メダルの記憶を、日本は20年以上かかって取り戻しました。この経験は、ぜひ、次の金メダルへとつながってほしいなと願ってやみません。

 写真は、去年の世界選手権で2位におわったあとの米満達弘。金メダルとチャンピオンベルトが欲しかったなあと、銀色のメダルを手に取りながら、決勝戦を振り返っていました。このときの悔いと経験が、ロンドン五輪の金メダルへとつながりました。
 彼のレスリングでの目標は、「オリンピックでの金と、世界選手権での金をそろえて、佐藤満強化委員長(1988年ソウル五輪金)を超えること」です。もう一度、米満が世界一になるのを待ちたいと思います。

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